人には『思い』というものがあって、それは様々な形で使われる。
神社等で自分の思いを神様に告げたり、誰かに対しての思いだったりで、それは時と場に応じて姿を変える。
憎しみであったり、悲しみであったり、喜びであったり、愛しさであったり。
人それぞれの『思い』が日常生活の中で絶え間なく動いている。
しかし、『思い』というものは目に見えない不確かなものであり、他人の『思い』に実際に触れられた人間は多分この世にはいないだろう。
だから、不確かなものであるから、人間は気づかない。
『思い』は時に強くなりすぎることがある。
そして、あまりにも強く思うもんだから、その『思い』が自分の中から飛び出してくることがある。
自分から飛び出した『思い』は勝手にこの世を徘徊し、望んだままに行動していく。
ある意味魂のような存在だ。生霊とも言えるかもしれない。しかし全くと言っていいほどの、違う異なった存在であるのも確かなことだった。
『思い』は具現化する。そいつが強く思えば思うほど、よりはっきりと現実のものになっていく。触れられなかったものが、触れられるようになる。
だが厄介なことに、それは本人が気づかないことで、決して自分の分身ではないということ、『思い』は自分の意思で操ることが出来ないということであった。
例えばその『思い』がもしも憎しみであって、殺したいほど誰かを怨んでいるのであれば、自分が殺す気が無くても、『思い』が勝手に行動して殺してしまうことがあるのだ。
知らないところで、もう一人の自分が人殺しを行っている。自分には非が無くてもいつの間にか罪人にさせられてしまう。
罪悪感と、恐怖で狂いそうになる。
だが、これといった打開策は無い。どうやったって人間には感情というものがあり、抑えることなんて出来やしないのだから。
だったら、具現化した『思い』が災いを起こす前に止めればいい、と人間は考えた訳だ。
つまり、あらかじめ目星を付けておき、具現化したと同時に消滅させる。
簡単に言えば、具現化された『思い』を瞬時に殺すということであった。
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「あっちにも、こっちにも、ギスギスした野郎ばっか・・・・・・・やってけねェな、ホント」
賑う繁華街。人ごみを押し分けるようにして、男が一人歩いていた。
長い前髪、重そうな荷物。歳は二十代前半か後半かのどちらかといったところ。
「何でそんなにウラばっかり持ってんだろうねぇ?何に不満があるんだか・・・・」
意味不明な言葉を呟きながら、人の間を上手い具合にすり抜けていく。
とても荷物を持って歩いているとは思えないほどだ。
「それだけ世の中が荒んできたって事か・・・・世も末だな」
あきれた顔で周りを見回し、ため息をひとつ漏らす。
どう見てもただの普通の繁華街。殺伐とした雰囲気はないし、皆それぞれ談笑したり、仕事をしたりといつも通りの風景なのに、この男の目には何が映っているのだろうか・・・・・
夏がもうそこまで迫っているこの時期、お天道様の強い光と熱せられた空気に誰もが顔から汗を流している。
男も邪魔そうな前髪を搔き揚げ、微かに吹く風を顔に当てた。
今までは前髪のおかげで顔がよく分からなかったのだが、前髪を搔き揚げたことにより見えなかった部分が露になる。
透き通るような黒い瞳。青空が反射して、青みを帯びた色に見える。飄々とした中にもどこか力強く感じさせる目だ。
なるべく日陰になっているところを選びながら、男は歩き続け、鍛冶屋と呉服店の間にある狭い路地に入った。
とたんに、さっきまで騒がしかった空気が嘘のように静まり返ってしまった。まるで何か壁でもあるのかと思わせられるほど無音で、空気が緩まずにピンと張り詰めている。
男の足音が微かに聞こえるだけだった。ねずみ一匹、虫一匹いない。
どこか現実とはかけ離れた雰囲気があたりに渦巻いていた。
しかし、男は何も気にしていない様子で平然と歩き続ている。一軒の家の前で止まり、裏口のように小さく古い戸を開け中に入っていった。
中に入ると、ひんやりした空気が体を包み込む。そこは一つの大きな部屋になっており、部屋の真ん中に蠟燭の明かりが一つポツンとあるだけでかなり暗い。
男が戸を閉めるとほぼ真っ暗闇になった。かろうじて蠟燭の明かりのおかげで、室内が微かに見える。目を凝らしてみると、寺の本堂のような装飾が施されていて異質な空間がさらに強さを増し、不気味にさえ見える。
男は履いていた草履を脱ぎ、部屋に上がった。床がぎしぎしと音を立てている。
「何度も言ってるだろう?私は、明るいのが苦手なんだ。入ってくるときは注意して、って言ったのに」
突然暗闇から声がした。少年のような声が壁に当たって、室内に反響する。
「ああ、そいつぁすまなかったな。次からは気をつけるよ」
男はそれに笑って答えると、背負っていた荷物を足元にドサッと置いた。
「サジ、その言葉は何回も聞いたよ。全然気をつける気が無いんだね。それとも私に嫌がらせでもしてるのかい?」
首をコキコキと、左右に曲げながらサジと呼ばれたその男は不機嫌そうな顔をした。
「俺も何度も言ってるだろ?俺の名はサジじゃない。紗璽(しゃじ)って言うの。箸みたいに呼ぶんじゃねーよ」
「言い難いんだよ。それにお前に紗璽ってのも似合わない。お前のようなヤツはせいぜい、箸の様にこき使われてるほうが似合ってるさ」
皮肉たっぷりの言葉を返され、余計に不機嫌になる紗璽。
「てめェのほうこそ、こんな暗いところに居やがって。ここから引きずり出すぞ」
「しょうがないじゃないか。それに明るい日の下にでも出れば私は消えてしまうのだから、仕事に困るんじゃないのかい?『思念』はお天道様に好かれていないからねぇ」
それもそうだと思ったが、自分が言ったのは脅しの意味で言ったのであって、こうも普通に返されては後の言葉がなかなか出てこないものである。
「夜になれば外に出れるのだけれど、月ばかり見るのは飽き飽きするねぇ。一度でもいいからお天道様を拝んでみたいよ。サジ、お天道様ってやっぱり眩しいものなのかい?」
段々関係ない話に反れてきたようだ。話し出すと止まらない相手に、紗璽はイライラを隠せず、いや、隠すつもりも無く、話を本題に移させようときり出す。
「あーはいはい、もういいだろ?俺は用があってここに来てんだ。てめェの世間話に付き合ってる時間も、暇もねーんだよ。分かる?」
実際、紗璽が昼間から暑い中外に出てあちこち歩き回っていたのは仕事の一環で、ただ無意味にブラブラしてたわけではない。
自分は真面目に仕事を進めているのに相棒がこんなのでは話にならない。
「酷いヤツだねぇ。私だって、本当はこんな所に居たくないのに。一人ぼっちなんだから、たまには気を利かせてくれたっていいじゃないのさ」
「お前に利かせる気なんて俺には無ェ」
「あっ、酷っ・・・、お前が寝てる間に化けて出てやるからな。呪ってやる・・・・」
いや、別にお前が出てきても怖くも無ェよ。と思ったが、もう話を進めたいので無理やり本題に入ることにした。
「さっき、具現化しそうな『怨思』があった。一応、縁(しるし)を付けておいたが、今晩には始末しないといけない」
「あれまァ、最近多くなったねぇ。また『怨思』がいたのかい」
一昨日だけでも2~3ほどの『怨思』を始末したばかりだった。はっきり言ってとても疲れるし、他の人間に回して欲しいところなのだが、相変わらずの人手不足でそうも言ってられなかった。
「それだけ世の中、腐ってきてるって事だよ」
「・・・・・・・・・物騒な世の中になったもんさね」
さて、これで伝わっただろうと思い、紗璽は再び荷物を持ち背に背負い込んだ。
「もう行くわ。また、夜に来る」
踵を返して、戸のところまで歩き草履を履いて、戸に手をかける。
後ろで、暗闇にいる自分の相棒が慌てていつもの通り叫ぶ。
「戸を開けたらすばやく外に出ておくれ!早くしておくれよ!」
「わかってるよ」
そう言って普通に戸を開け、普通に出て普通に閉めた。途中相棒が喚いたがそんなものは気にしないという感じで、ちゃんと閉まっているのを確認した後、紗璽は歩き始める。
少し足を止めて空を見上げた。
今日も空は青い。
この空を見てると、仕事の事なんか気にならなくなる。どこか清々しくなる。
「・・・・・・・・世の中腐ってる、か」
ポツリと呟き、紗璽はまた歩き始めた。